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音楽と必然性 -東京事変<娯楽>感想-   [2007年10月15日 mixiより]

反論される方も多々いらっしゃるかと思いますが、個人的には音楽には”旬”があると思っています。
それは単に”流行”という意味だけでなく、もっと強い、その時代に存在すべく必然性とでもいうべきものです。
真に優れた音楽は、それ自体が存在の強い意志を持っていると思うのです。

もちろん、過去の楽曲が”旬”でないから詰まらないとは思いません。
それはそれで、曲として優れていればリスペクトしますし、現代に過去の楽曲を蘇らせる意義もあるでしょう。
また、今再びこの時代に存在意義を持つ楽曲もあると思います。
そういう意味では、過去の楽曲でも”旬”に成りうる可能性があると言えます。

いずれにせよ、自分が最大限に魅力を感じる音楽とは、「旬=この時代に存在すべく強い意志」を持った音楽です。


そこで、「椎名林檎」という一人のアーティストを見てみると、個人名義の最終アルバムである『加爾基 精液 栗ノ花』あたりまでは明確な存在の必然性を感じたのですが、東京事変名義になってからは、徐々にその説得力が薄まってきているように感じています。
それは椎名林檎以外のメンバーにスポットが当たることによって、それまで椎名林檎という個人が演出していた”音楽の存在意志”が、表現として薄まってきたことに起因していると私は考えています。


椎名林檎は稀有な存在です。

もちろん、他の東京事変のメンバーに実力がないとか才能がないとは思いませんが、正直、椎名林檎と比べた場合、彼女ほどの魅力を感じないのも事実です。

東京事変の1stアルバムおよび2ndアルバムで既にこの傾向は現れていたのですが、1stはバンドをやるという挑戦、2ndはメンバーチェンジという変化があったために、それほど目立つものではありませんでした。
また、それ自体がある意味”意志”を持っていたと思うので、割と抵抗なく受け入れることが出来ました。

ところが今回の3rdアルバム『娯楽(バラエティ)』はメンバーチェンジがなく、また、他のメンバーによる作詞作曲が多く取り入れられる構成になっています。
そしてそれは、そのまま、椎名林檎という稀代のアーティストの魅力、彼女の音楽が持っていた強い存在意志を、削いでしまう結果となっているように感じます。

客観的に楽曲だけを見れば、アレンジもいいし、演奏もうまいし、良い曲が詰まったアルバムだと思います。
しかし、単に上手なだけのミュージシャンならば、今の世の中、ごまんと居るのです。
そこに、「東京事変」である必然性が感じられないのです。


もうすぐ、東京事変はライブツアーを行います。
自分も参戦するのですが、正直不安な気持ちは否めません。
ただ、東京事変がバンドとしての意志を、またバンドが奏でる音楽の持つ意志を、今回のツアーで打ち出してくる可能性もあります。
そういう意味では、今回のライブは自分にとって非常に期待するライブでもあります。

自分が行くのは来月ですが、今もドキドキが止まりません。
東京事変の出す音楽がどう意志を示すのか、しっかり見極めたいと思っています。
コメント(1) 
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コメント 1

shun

mixi過去日記です('-'*)

今でもこの考え方は変わっていませんね。
そして、今の東京事変に「必然性」があるのかと問われれば、それはやっぱり「ない」と思っています。
アルバム「スポーツ」がとても良かったので、好きではあるのですが。

ただ、林檎さん自身に限ってみれば、それは「分からない」ですね。
かつての「椎名林檎」はもはや過去のものであると思うのですが、今の「椎名林檎」はそのまま世間に受け入れられていきそうです。
NHKが欲することから分かるように、絶妙のポジションな気もします。

まぁ、とりあえずは紅白が楽しみですね(^^;
by shun (2011-12-13 23:02) 

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